【通関士】
税関職員時代の思い出



こんにちは。
TAC 通関士講座 講師の井下 奈緒美(いのした なおみ)です。
5月に続き、7月のブログを担当させてもらいます。
今回は、自分にとっての通関士さんとの関わりや、通関士試験の事を思い出して書きます。

私は昔、神戸税関の職員として勤務していました。
なぜ、税関職員を目指したかというと
当時は、税関の仕事を認識していたわけでもなく、単に制服に憧れ、それからちょっと英語が好きだというだけの理由でした。
その年の採用人数の10何名かのうち、女性の枠は2人くらい、と知ったのは面接当日だったように思います。
面接では、「私は貿易の第一線で働きたい、他の公務員試験に(県職、市職試験)落ちてしまったし、絶対、税関に入りたい!」と言ったと思います。

運良く、採用していただき、その夏に正式に配置されたのは人事課秘書係で、貿易の第一線ではありませんでした。
その後の人事異動で色々な職場に行き、通関士さんという存在を初めて知ったのは、出張所の輸出通関部門(いわゆる「ライン」)です。今と違ってマニュアル申告の時代ですし、昔話として読んで下さいね。
輸出は他法令(特に外為法、輸出貿易管理令)の審査が重要でいつも武器関連、別1の1、と呟いていたように思います。
商品は食品から、繊維、機械まで色々な通関書類を審査していました。
通関業者さんは親切で、統計品目番号についても色々教えて下さり、当時のラインは女性は少なく、(元々、絶対数が少ないので)若い人も少なかったので、とてもよくしていただきました。
現場検査も税関庁舎の改品場検査でも、通関業者さんとは色々な話をしながら楽しく仕事ができました。
この頃の自分は通関士試験というものの存在すら、知らなかったのです!

その後、何年も経て、自身も通関士試験を受験する事になり、(この経緯を述べると字数オーバーの為、割愛)、法令科目はともかく、通関実務の申告書がまるでできませんでした。

当然ですよね、今まで作成済みの完成品をチェックしていただけで、自分で一から作っていないのですから。
通関士さんの偉大さを身をもって実感した瞬間です。
受験の年の夏は毎日、申告書の練習ばかりしていました。
今でも蝉の鳴き声を聞くと、あの頃の事を思い出します。
何回やっても同じ統計品目番号を間違え、悔しくて、自習室で泣いていました(笑)
それでも繰り返し、自分でやるしか方法はないので何回も何回も書きました。
当時は筆記でしたので輸出入申告書の書式の用紙を100枚コピーし、必死でした。
おかげさまで合格後に、この資格を活かして、講師という立場から自分の仕事の原点であった税関と再び接点ができ、今でもたくさん、お世話になっています。

私は、受験生としての立場からの話もできる講師になりたいと思って、この仕事を続けています。

たくさんの方に合格していただき、日本の貿易を支える通関士になってほしいと思っています。
これから、学習も山場を迎えると思いますが、目標達成の為に、一緒に走って行きましょう。