【宅建士】
渋沢栄一と宅建試験


みなさん、こんにちは。山口です。
新年度となり、心新たにお過ごしのことと思います。
ところで、宅建士試験の受験勉強においては、敷地面積の最低限度や建築物の高さ制限などを学習しますが、このような学習内容は、渋沢栄一が行った事業と関連していることをご存じですか?

渋沢栄一は、2021年2月から放送がスタートしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であり、2024年度に一新される1万円札の顔となります。渋沢は、大蔵省(現在の財務省)の官僚時代に「bank」を銀行と訳して第一国立銀行を設立し、以降は民間人として約500社にも及ぶ企業の設立・育成に関わり、日本近代経済の礎を築いたことで、日本資本主義の父と称されています。

1867年、渋沢は、パリ万博に派遣された徳川昭武(慶喜の弟)の世話役として随行し、ヨーロッパ諸国の文明や文化に大いに刺激を受けました。なかでも、近代都市計画の祖とよばれるイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した「田園都市」構想に共感しました。
19世紀末のイギリスは、産業革命が進展することにより都市に人口が集中していました。ハワードは、都市労働者の生活環境改善のために、都市の利便性と緑豊かな農村の魅力を併せもつ理想都市の建設を主張しました。それは、庭つきの戸建住宅に居住し、周辺には公園や農地や森林のある職住近接型の都市を理想とするものです。このハワードの「田園と都市の長所の結合」を東京で実現するために、渋沢を中心として、1918年に田園都市株式会社が設立され、1922年に洗足田園都市、1923年に多摩川台住宅地(現在の田園調布)を開発・分譲しました。また、1時間以内に都会の中心地に到達できるようにと、鉄道子会社(後の東急電鉄)も設立しました。

そして、田園調布では、日本初のガーデンシティーとして「住宅と庭園の街づくり」の理想の下、良好な住環境を維持し保全するために、大田区田園調布地区計画によって多くの厳しい制限が課されています。
具体的には、建築物の敷地面積の最低限度は165㎡(50坪)、建築物等の高さの最高限度は9m、4戸を超える共同住宅の用途に供する建築物の制限、壁面の位置の制限、建築物の色彩の制限などがあります。敷地の細分化を防ぐことで狭小住宅や縦に細長いペンシルビルが建ち並ぶような、窮屈な住宅街にならないようにするとともに、戸建住宅と用途が混在しないよう賃貸住宅の増加を防止するだけでなく、日照や通風、街並みや景観の確保にも配慮しています。
一方で、敷地を165㎡(50坪)より小さくするための分割ができないため、敷地が高額で売りにくくなるというデメリットもあり、敷地内にアパートを建設して収益を得ることもできないという頭の痛い問題もあります。
そのため、近年の田園調布は、空家や空地が増えてしまい、渋沢が「田園都市」として理想とした街並みが崩れているという指摘もあるところです。

さて、渋沢は、民間に転じる前は「大蔵省租税司正」という役職に就いていましたが、これは大隈重信の考えによるものとされています。渋沢は、ヨーロッパから帰国した後、1869年に静岡藩において「商法会所」を設立し、藩内の茶や漆器などを販売する一方で、金銭の貸し付けも行っていました。現在の商社や銀行のような業務を行っていたようです。このような活躍を知った大隈に渋沢は説得され、大蔵省で仕事をすることを決めました。
その後、廃藩置県が断行され、大蔵省は各省庁から日本の近代化に必要な支出を求められましたが、そもそも歳入(税収)自体が不足しており、財政問題は深刻な状況でした。そこで、渋沢は、産業の発展こそが自分の役割と考えて大蔵省を去り、実業家として多種多様な企業の設立・経営に携わることになったのです。

なお蛇足ですが、そもそも渋沢が実業家として活躍するきっかけを作ったのは、上述のように大隈重信といえそうです。
そして、現在の1万円札の顔は慶應義塾大学創設者の福沢諭吉ですから、次の1万円札の顔は私学のもう一つの雄である、早稲田大学創設者の大隈重信にしてもよかったのではないでしょうか?笑